ラマナ マハルシ、20世紀の釈迦とも言える、教え
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解脱の意味とその方法を具体的に説く。解脱の道を探究する現代の人々の質問・疑問に徹底的に答えている。宇宙の真の姿、いや、生命の姿(本質)をこれほど真正面から説き、実践の導きを聞いたことがない、生命の本質に生きた人だからこそでは。会話の節々に剃刀(かみそり)の刃で身を刻まれる思いさえする。(彼の心は既に停止し不全で)、返答には心を使っていないと。唐突にも聞こえる彼からの返答が世俗に縛られない真我の本質の現れなのかも知れない。その響きを逃したくなく、英語の原文を読む。
「Self(自分)からI(私を感じる個)が立ち上がり、そのIからmind(心)が立ち上がる。そのmindに宇宙が出現する。...Iは主格でmindは目的格.....記憶は主格と目的格の関係。」
つまり、平たく言えば、生命エネルギー(真我、宇宙意識、や神など色々呼び名がある)からエネルギーが放射される。それを純白な光と呼ぼう。その純白な光が、心を通過して放射されるとき、心の内的状態を反映して(に染まって)、現実の世界が脳内に投影される、まるで映画上映で電源から放射される光が、フィルムの色に染まり、スクリーン上にその像を結ぶように。世界は(私たちの)内に投影されているのであるが、私たちは身体であると言う「無知」から、外界に存在する自分が居る。この無知こそが原罪と呼ばれるもの。
「目覚め」時や「夢見」時は心は”外”へと吹き出し、「熟睡」時は”内”へと引っ込む。「目覚め」「夢の中」と「熟睡」に一貫して唯一存在するものは生命エネルギー、真我のみ、瞬間瞬間に現れ消えゆくものに真実はない。心が内側に引っ込む時、外部の特質をも内部へと引きずり込む。(これは因果関係の因を取り込んでいるメカニズムと思われるが、真我は変化を伴わない真実とも説明されており、この変更情報を取り込めないのではと、あさはかな筆者は考えるが、人の意識は宇宙意識に入り込めない部分があるとも言われているので、そのままにしておく。)
輪廻転生らしきことについては、心が純粋な光に浄化された時、心はもはや像を永遠に結べなくなる、つまり転生しないと。解脱を目指すは、心を構成する思考の束を壊滅させよと。思考の立ち上がってくる源を注視せよ、なぜなら心にはこの源を探究される時、自滅の種が内蔵されていると。
さて、心は破壊されても、自我意識は残ると言われており、そこからどこへ向かうかは解脱すれば自ずから明らかになるから、まずは解脱を目指せよと。その人の心の準備ができた時、「導き」が教師又は本の形で現れる(自ら出現させる)。対話にも幾度か現れるが、本ばかり読んでいてもらちがあかない、自ら実践して知れと。印度では数少なくない人が知ったのでは?日本でも、座禅に取り組む人々は、真我を垣間見ているのでは?
関連名言
釈迦の「この世は人の思考で生み出される」の言葉は言い回しこそ違え、時代を超えて聞こえて来ます。筆者は次の人々に出会うまで長らく「比喩」として用いられたと捉えていました。
With our thoughts, we make the world.我々の思考がこの世界を生み出す。(釈迦)
Do not dwell in the past, do not dream of the future, concentrate the mind on the present moment.過去に浸るな、未来を夢見るな、今の瞬間に心せよ。(釈迦)
I am the miracle. 私は奇跡の賜物。 (人の存在その物が「既に」奇跡なのだ)(釈迦)
もし私が世界を予覚によって自己の中に摂取していなかったら、見る目を持ちながら、何も見えず、すぺての探究も経験も、全く生命のない無益な努力に過ぎなかっただろう。光があり、色が我々を取りまいている。しかし、もし我々の目の中に、光と色を具えていないとしたら、外界の光や色な知覚することはできないだろう。(ゲーテ)
Expectation is the root of all heartache. 期待は全ての心痛の源 (シェイクスピア)
人間は現在を貴び生かすことを知らないから、よりよい未来にあこがれたり、過去に姻びな送ったりする。(ゲーテ)
Music is the voice that tells us that the human race is greater than it knows. 音楽を聞けば、人間は自分達が考えているよりも大きな存在である事が分かる。(ナポレオン)
Everything that is happening TO you is happening THROUGH you. And everything that is happening THROUGH you is happening FOR you. あなたに起きている全ての事象はあなたを通して起きている。また、それらあなたを通して起こされた物はあなたの為にある。(ニール・ウォルシュ)
The world appears to us to be unalterably objective and factual, because of perculiarities of our awareness and perception. If different perculiarities of perception come into play, the very things about the world that seem so unalterably objective and factual change. 人間特有の知覚により、この世界(世)は固定的な物質が実在している様に映る。が、異なる知覚が働かされる時、この固定的な物質が存在する(はずの)世界が一変する。([The Power of Silence] Carlos Castaneda)
The eternal mystery of the world is its comprehensibility.宇宙の永遠のなぞは我々にそれが理解できる[ように作られていることだ]。(アルバート アインシュタイン)
God does not play dice. 神はサイコロを振らない。(アルバート アインシュタイン)
We do not learn; and what we call learning is only a process of recollection. 「新しく」学ぶ事は何も無い。我々が学ぶと呼ぶ行為は回顧の行為でしかない。(プラトン)
It is no use arguing that we are comparing the actual state of the ego with some previous state in which the cause was perceived in its entirety at the same time as its effect was experienced. 留意して下さい。思い込んで(記憶して)いる「因」も、その「果」のどちらも今瞬時の心でしか理解されないことを。(アンリ・ベルクソン)
The greater part of the time we live outside ourselves, hardly perceiving anything of ourselves but our own ghost, a colorless shadow which pure duration projects into homogeneous space. 覚醒している時間の殆どが、影に気を取られており、直接自我を感じていることは少ない。時間空間に投影された自我の影に。(アンリ・ベルクソン)
Then he talked about ancient man, He said that ancient man knew, in the most direct fashion, what to do and how best to do it. But, because he performed so well, he started to develop a sense of selfness, which gave him the feeling that he could predict and plan the actions he was used to performing. And thus the idea of an individual 'self' appeared; an individual self which began to dictate the nature and scope of man's actions. As the feeling of the individual self became stronger, man lost his natural connection to silent knowledge. Modern man, being heir to that development, therefore finds himself so hopelessly removed from the source of everything that all he can do is express his despair in violent and cynical acts of self-destruction.
古代の人間は何をし、どのように最善に行なうのかを直接に感じていた。しかし、無意識の創生が続くことで、自らの創造を予測したり計画できる環境と勘違いし始め、取り巻く周囲と一歩引いた「個」の存在に目覚めた。やがてこの主観がさらに強まり、沈黙の知識との繋がり(一体であること)を忘れることになってしまった。今日の人類はここから派生した人々で、全ての力の原点(宇宙意思)からつながりが切れたことを無意識に感じており、失望感や絶望感がはびこり、凶暴で冷笑的な自己破壊現象として現れる。(カルロスカスタネダ)